Wednesday, January 4, 2012

不審な死を遂げた反原発の町議>原子力発電を考える~原発を止めた町から~ 上村康広さんの話

東京新聞の社説を紹介・転載した投稿についたコメントで教えて戴いたのですが、反原発派だった三重県は南伊勢町議会の議員、上村康広さんが変死したという情報です。まずは47NEWSの記事

そして、反原発の人だったと伝えるツィッター

そのリツィートにあったリンクのブログ記事を下に転載しておきます。

反原発派と推進派の間が相当険悪だったことが読み取れるので、その関係なのか或いは福島原発事故後の活動を阻止しようとする者の仕業なのか?

「伊勢署は事件と事故の両面で捜査している」

と上の記事にもありますが、上村さん所有の散弾銃は車外にあったけれども、上村さんは運転席で倒れていたという点。暴発で撃たれてから運転席に座った可能性もゼロではないのでしょうが、ちょっと不自然では?

下に転載する記事を書いたたかふさんも、同じ疑問を持っていました。

とにかく本当の捜査をしてほしいものです。
では、以下転載。

2011-06-05 14:33:26
原子力発電を考える~原発を止めた町から~ 上村康広さんの話
テーマ:電力会社と闇

6月5日 名古屋生活クラブが主催する「原子力発電を考える~原発を止めた町から~」という講演会に行きました。演題は2題です。そのうちの上村康広さんの話について書きます。

上村康広さんは南伊勢町議会の議員です。と書くと堅苦しいイメージですがとてもおいしい牛肉を育てる畜産家で、とても親しみやすい雰囲気をもった方でした。ずーっと話を伺いたいと思っていたので今日は話を聞けてとても有意義な時間を過ごしました。

まずは芦浜原発計画の経緯をwikipediaから転載いたします。
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中部電力は1963年、熊野灘への原子力発電所建設計画を公表し、翌1964年に芦浜地区を候補地を決定した。しかし1966年には地元の漁業関係者が衆議院科学技術振興対策特別委員会の視察を阻止する「長島事件」が発生するなど、計画当初から反対運動が行われていた。そのため1967年には当時の田中覚知事が計画を棚上げした。

しかし1977年に国は芦浜地区を要対策重要電源に指定した。1984年には三重県も原発関連の予算を計上し、県議会も立地調査推進を決議している。1994年には、南島町古和浦漁協と紀勢町錦漁協も調査の受け入れに同意した。しかしなお各漁協で対応が分かれていた。

1996年には南島町芦浜原発阻止闘争本部が県民81万2335人の反対署名を北川正恭知事に提出した。これを受けて1997年3月に県議会は調査・建設の冷却期間を置くよう求めていた南島町の請願を全会一致で採択した。同年7月に県は中部電力に対して、立地予定地からの社員引き上げを正式に要請し、1999年まで冷却期間となった。1999年には北川知事が国内やドイツの原発を視察したほか、南島町、紀勢町から意見聴取を行っていた。

白紙撤回 2000年2月22日、北川正恭知事は県議会で「計画の推進は現状では困難、白紙に戻すべきだ」と表明した。その理由として、計画発表から37年もの間地元住民を苦しめてきたのは県にも責任があるとした。また「電源立地にかかる四原則三条件[1]」を満たしていないと述べた。当時、県民の53%、南島町民の86%が原発に反対していた。一方で紀勢町では原発推進派の勢いが勝っていた。

中部電力としては原子力発電を浜岡1ヶ所に頼っているという現状があり、是が非でも芦浜地区に原子力発電所を建設したいという思惑があった。しかし知事の発言を受けて、中部電力の太田宏次社長は計画を白紙に戻すことを表明した。

国は2010年までに原発を16-20基増設することを計画していた。しかし1999年に発生した東海村JCO臨界事故と芦浜原発の白紙撤回は、この計画に大きな影響を与えたと言われている。
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以下は上村さんの講演の内容ですが、メモと記憶を辿って書きますのでもしかすると間違いがあるかもしれません。

1964年に原発計画の候補地となった当時は多くの人が建設に反対していた。そして町によって推進派になったり反対派になったりした。

10年ほど話し合いが続いたが、その間に中曽根康弘が巡視艇に乗って芦浜を視察に来るということになり、漁師たちが船で妨害しこれを阻止した。これが「長島事件」という。これにより20数名が有罪判決を受けたという。

高谷副知事が南島町民?との話し合いで原発建設には南島町住民の同意が得られることが必要だという内容の文章を明記、捺印した。これにより副知事は更迭された。

隣町の大紀町(旧錦町)は推進派であり、この町とは大変ないがみ合いとなってしまう。暴力的な事件に発展し最終的に機動隊が出動する騒動となった。その後、田中覚知事は原発計画を棚上げにする。これが最初の計画停止である。

三重県知事は田川亮三(自民党)の時代となった。彼は奇しくも福島原発を視察し、安全性を確信してしまったらしい。これを受け中部電力は町内に入り込み住民の推進工作を強めた。そして三重県もこれに続いた。


上村さんの住む南島町は真珠養殖がさかんで、これによる利益はけっこうなものだったという。したがって住民の心は一枚岩で反対運動ができた。しかし時代の流れで真珠養殖が儲けにならなくなり、ハマチ養殖に移っていった頃に事件が起きた。

ハマチ養殖の餌に混ぜられた抗生物質の問題だ。この抗生物質の使用により漁師の指が腐り落ちたなどと報道され、1400円/kgだったハマチの値段が600円/kgまで落ちたという。この裏には当然のように中部電力が見え隠れしていた。この指が落ちたという人物は2人いて、上村さんは両方とも知っている人間。二人とも別の原因で指を切断していたことも知っていた。一人はハマチの餌であるミンチをつくる機械に指をはさまれ、もう一人は全然別の原因とのこと。しかも、話をでっち上げたのは既に漁師は辞めていた後の話だということだ。

中部電力はハマチ養殖で借金を抱えた住民に対し、金を貸すよと持ちかける。ただし町民が連帯で借りなければだめと条件を付けた。何人も借金すれば返済金を払える人もいれば払えない人もいる。しかし中部電力は連帯だから全員で返せと返済を受け付けなかったらしい。

こうして手を替え、品を替え、中部電力は反対派住民に対し工作を進める。

住民が住民を見る目はまず第1に原発反対派か推進派かになるという。推進派の人が一人亡くなれば、反対派の人が「よかった」と言う。その逆もしかりである。
例えば転んでいる子供がいれば「あの子は推進派か反対派か?反対派なら助けてやろう」という心情になるそうだ。なぜかと言えば漁業組合員が215名。このうちの半分が賛成すると海洋調査が行われる。海洋調査を行えば必ず原発が建つと言われるほど、ほぼイコールのもの。だから反対派にとって推進派の頭数が減ると言うことは「よかった」となるのである。

あるとき上村さんの妹夫婦が推進派に回った。これにより兄弟間で喧々諤々あり疎遠になってしまった。親を見ている子供同士(従兄弟同士)も遊ばなくなった。上村さん曰く「一般的に身内ほど信頼関係は強い。でもこういう自体になると信頼感が強いほど正反対のエネルギーに換わってしまう。」と・・・。


原発は麻薬と同じである。
財政難の過疎地に誘致をもちかけ、電源三法による交付金を過疎の町に落とす。原発を作ったら維持管理費がかかり、当然その財源不足になる。で、また新しい原発を建てる。この繰り返し。
議員は議員で町民のためにあれを建てた、あそこを直したっていうことで人気があがるらしい。
農業はだめ、漁業もだめとなると原発に頼りたくなる現状があるのが過疎地の問題である。

上村さんがこれだけは言っておきたいが、原発推進派もお金が欲しくて原発を推進したいと言っているわけではない。みんな子供たちに借金を残したくないという気持ちがあるからなんだ、これだけはわかって欲しいと力を込めていた。


芦浜は呪われた土地と言われており、原発建設の声が高まるとどこかで事故が起きている。チェルノブイリ、東海村、そして福島だ。今、計画が停止しているのは福島の犠牲の上になりたっている。

芦浜原発の計画はなくなったわけじゃない。建設予定地は中部電力が今でも所有しているし、中部林業という中電の子会社がその土地をきれいに管理している。もし浜岡原発が廃炉になれば中部電力の原発は0になる。その時、再び建設計画が持ち上がるのが怖い。

菅総理はなぜ不信任案を提出されたのか、あれは原発に手を出したからだ。浜岡を止めたから既得利権を守りたい推進派の抵抗にあったと思われる。

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うまく思い出せない部分もありますが大体、こんな内容でした。
(今度ボイスレコーダー買わなきゃ)

許せないのは電力会社も国も財政難で高齢化が進む過疎の村をターゲットにして
住民の絆を引き裂き、情報操作を行い、麻薬着けにしてしまうことですね。

質疑応答から1点追加

質問:
デモや署名運動といったことは広がりつつありますが、それ以外に脱原発にむけ我々ができることは何かありますか?(例えば政治的な何らかの方法とか)

回答:
芦浜原発の時は住民の同意がなければ原発の建設は認められないという文章を副知事が書き判を押してもらった。これが三文判であったためモメた経緯はあったが、これは大事な事だったと思う。81万人以上の署名を集めたことも大きな力になったと思う。とにかく国民が原発に対して嫌だと言うことが大事。後はしっかりとした反原発の考えを持った政治家を選ぶことじゃないでしょうか。

2011.6.5
(転載終わり)

「国民が原発に対して嫌だと言うことが大事」

奇しくも、冒頭で触れた東京新聞の社説を受けて書いたように、政治家やメディア等々の言うことを鵜呑みにせずに国民が自ら動かなければ駄目だということですね。

事件であれ事故であれ、今後も反原発に大いに貢献なさったであろう方の死は誠に残念であります。ご遺族のためにも、真相が判明するよう祈りつつ

合掌


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