Thursday, September 13, 2012

日本人は歴史を正しく教えられているか?――海の武士道 敵兵を救助せよ!

日本では数年前に結構メディアが取り上げたらしいので、ご存知の方も多いかもしれません。が、私は最近初めて知ったので、紹介しておきます。まずは、ビデオで

海の武士道 前編.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=U40UpwA_Pek

こういうのを見ると、「日本がもし燃料等に窮乏しなかったら、色々とどうなっていたかわからないなぁ」などと思ってしまいます。余談はさておき、後編を

海の武士道 後編.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=7ATLq_Z4nos

英語で検索して出てきたのは英BBCのこの記事

Reunion for sailor saved by enemy

2003年6月に出たらしき。サミュエル・フォール卿の書いたものが和訳され、それを目にした当時のイカヅチに乗船していたタガミ シュンゾウさんが連絡を取って再会したという話です。記事中の写真は、フォール卿と英国で再会を果たしたタガミさん。

そしてもうひとつは

Officer tells of extraordinary rescue

89歳になったサム・フォール卿が付き添いの義理の息子と一緒に日本政府の招待を受けて一週間の日本への旅から帰ったときに出されたもの。ビデオでは2003年に「84歳」と紹介されていましたので、こちらは2008年。記事の最終アップデート日も2008年12月18日となっています。

そこには、当時フォール卿たちの軍船は日本がオーストラリアを占領するのを防ごうとしていたと書かれています。これ、どなたか当時を知る人に確認したいのですが、日本には豪州を侵略し占領する意思はなかったと思うのです。ただインドネシアなどに(戦闘で)進出して来られては困るので、ダーウィンやシドニー湾を少々攻撃して追い払うというか、そういう効果を狙ったものだと聞いた覚えがあるのですが、いかがでしょう?

ビデオでは海軍兵学校で「大仏(非常に情の深い男)」と呼ばれていた工藤艦長が亡くなったのは昭和54年1月4日死去とあるけど、ウィキペディアでは1979年1月12日に死去となっていますね。この英語のページは、多分日本人が書いたと思うのですが、そこには救助した敵兵の数が「422」ではなく「442」になっています。
#まぁ、細かいことは言わず(^^;

もっと見ていたら、工藤氏がどんな人物だったかなどの詳細も載っているサイトをみつけました。皆さん、是非読んでみてください

「敵兵を救助せよ」あらすじ

自分たちがいつ攻撃されるかもわからぬ状況下で、自分たちの倍ほどの敵兵を救助するとは、本当にものすごい決断だし、それをまた一生黙して語らずに、己は「独活(うど)の大木だ」と言って世を去った工藤俊作という方は、日本がもっと誇りを持って記憶すべき人物です。
#「誇り」を持ち過ぎると、それはそれで問題なんだけど

BBCの記事は生憎この顛末を詳しく伝えておらず、それも残念なら救助された400名余の兵士たちのなかで、これについて公に語ったのがこのフォール卿たった一人だったという点も非常に残念です。その後者については2008年のBBCの記事が触れていますが、「救助されたあと捕虜収容所ではひどく扱われた。でも、助けてもらった恩は...」という感じで、フォール卿の義理の息子デズ・ハリスの弁として書かれています。その辺のことをフォール卿自身が何と言ったのか、知りたいところです。

しかし、工藤艦長への恩を忘れずに日英関係のために行動してくれたフォール卿の「日英が友好関係にあり、二度と再び戦争など起きないように願う。私たちは友人なのだから」との弁を含めて、私たちが日本の内外に、そしてまた将来世代にこの話を伝えていかなければいけないと思います。

日本人が自信を取り戻し、正義のために立ち上がれるように。


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